職場の同僚に勧められ、独りで潮干狩りへ出かけた。ワークマンに寄って、足先から胸元までのツナギと、手先から脇まで伸びた長手袋を揃えて、準備は万端だった。
序盤は実に快適だった。海水に濡れることなく、浅瀬の砂を手で弄りながら、順調にハマグリを発掘した。しかし、夢中になるにつれて波をかぶるようになり、ツナギの胸元からどんどん海水が入り込んだ。腕が悲鳴を上げるほどハマグリを掘り当てて引き上げると、ツナギの中の海水が歩けないほど重かった。
脱いでしまえば簡単に排水できたが、あいにく下はパンツ一丁。砂浜に仰向けに寝そべった私は、まずは足を高く上げて背中に海水を移動させた。そして今度は、ブリッジのようなポーズで、ツナギの背部を押さえながら上から海水を掻き出すという、何とも滑稽な恰好をとらねばならなかった。
それでもハマグリの入ったクーラーボックスを片手に、意気揚々と駐車場に着いた私は、胸ポケットに入れていたリモコンキーのボタンを押した。それなのに、クルマの鍵が開かない…。海水にまみれ、回路が壊れてしまったらしい。仕方なく、リモコンの中に格納された物理キーを取り出し、鍵穴に挿して回してみたが、それでも開く様子がない。
ケータイも財布も車内に置いていったことを呪いながら途方に暮れた私に、同じく潮干狩りを終えて帰り支度をされていた、子連れのご夫婦が声を掛けてくださった。
「鍵が開かないんですか?JAFを呼びましょうか」
なんて親切な方なのだろう。その時点で、地獄で仏に会ったような気分になった私はお言葉に甘えた。
JAFは到着まで40分かかるという。
「後は、何とかなると思いますのでお帰りくださいね」
そう言った私に、
「いえ、どっちみち遊んでたんで大丈夫ですよ。きっとJAFの方も場所がわからなくて電話かけてくると思いますし」
と一家そろって待機してくださっている。
その後も私が物理キーでガチャガチャと試行錯誤していると、
「十六茶は飲めますか?よかったらどうぞ」
そう言って、ペットボトルのお茶をくださる奥様。太陽の下で、夢中になってハマグリを採っていたせいで脱水気味だった私の心身に、奥様のご厚意が沁みわたった。
さらに驚くべきことに、旦那さんはYouTubeで物理キーでの解錠方法を調べてくださり、
「ちょっと試してみてもいいですか」
そう言って、おもむろに鍵を挿し、見事に解錠してくださったのだ。
嗚呼。
もうこのご家族にお礼をせずにはいられない。
そう思って、不躾ながら住所を尋ねた私に旦那さんはこう答えた。
「いいんですよ。
僕もむかし車のトラブルで助けてもらったことがあるので。
もし今度、同じように困ってる方がいたら助けてあげてください」
こんなにも素晴らしい行いが、私にできるだろうか。
私にすぐできるのは、世の中にはこんなにも慈悲深い人が実在することを、一人でも多くの人にシェアすることだった。